看護師キムショー旅行記 ~放浪記から派生する役立ち情報~

看護師キムショーが自身のバックパカー旅行から学んだ役立つ知識や看護師として培ってきた役立つ知識をマルっといろいろな視点からお届けしていくブログです。どうぞ宜しくお願いします。

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メモリアルロマン飛行19~生まれ変わり編~ 【付録】ヒトラーという人間について

どうも。救急ER看護師のキムショーです。

今日もメモリアルロマン飛行の続き。

オランダ・アムステルダムで無駄に風邪のせいで時間を過ごしてしまったキムショー。タイムリミットも限られている中、前々から期待していた国のひとつでもあるドイツへと向かう。果たしてドイツとはどんな国なのだろうか…。期待に胸を広げて、いざフランクフルト到着。ではフランクフルト編、どうぞ!

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なんか眺めいいな、ここ。

私は着いて直ぐにライン川の支流、マイン川のほとりにて腰を下ろし、道行く人をボケーっと眺めていた。

すると、色々な人が話しかけてきてくれた。

なんかドイツは他のヨーロッパの国々とは少し味が違う気がした。

一律に感じたことは、道行く人が優しいのだ。

ある太っちょのおじさんが言うには、

「ヒトラーに…壁に…支配されていたドイツ。この国は、外の国々から嫌われていた。疎遠な扱いを受けてきた。だからこそ(とは一概に言えないが)、国内の人間同士くらいは、お互いがお互いを思いやる気持ちを持とうとしているんだよ。人を思いやる優しさで言えば他の国より長けているのかもしれないね。」

と。

なんと素晴らしい国なんだ。

必ずしもドイツだけがそうだとは言いきれないだろうが…

歴史をとおして優しさが滲み出る国。

良いではないか。

私は少しジーンときた。

 

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こんな素晴らしい国にまで発展したドイツ。そしてそのドイツと切っても切り離せない「ヒトラー」という人間。今回は私が個人的に気になった「ヒトラー」という人間に関して調べてみたのでここに綴ろうと思う。

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数々の映画にまでなったヒトラー。世界から嫌われたヒトラー。しかしこの人がいなければ今の世界はここまで発展しなかっただろうとも言われているヒトラー。そのヒトラーの生い立ちから才能まで気ままにツラツラ綴っているので、ご興味ある方は是非ご覧あれ!それではどうぞ!

史上最悪の独裁者とも言われているヒトラーは、巧みな演説力を駆使して大衆を扇動し、第二次世界大戦を誘発させた。また反ユダヤ主義を掲げ、ユダヤ人を迫害したことが今でも最悪の記憶として残っている。

しかし、ヒトラーが事実上合法的に政権を獲得し、ヨーロッパ大陸を支配してしまうほど、ドイツの国力を復活させることができたのは、彼の非凡な才能によるものだったのかもしれない。

ヒトラーの生い立ちや如何に!?

実は私も知らなかったのだが…ヒトラー=ドイツ人ではなく、本当はオーストリア出身だったのである。いきなりお恥ずかしい。ヒトラーはオーストリアでの腐敗した環境に嫌気がさし、24歳の時にドイツのミュンヘンに移住したのだった。

そして、中学時代は赤点コレクターだったことは有名である。青年時代に実科学校(ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、エストニアにおける中等教育レベルの学校のひとつ)に入学したが、勉強はあまり優秀ではなかった。第一学年では必修の数学と博物を落とし、第二学年でも数学を落とし、再試に合格して事なきを得るが、第三学年ではフランス語を落とす。別の学校へ通っても同じように次々と落第。再試と留年を何度も経験してきた事実が残っているのである。

その後も教師とのトラブルや病気などを理由に学校へ行かなくなり、退学を余儀なくされる。つまり事実上、ヒトラーが正式に教育を修了したのは小学校のみなのである。青年時代のヒトラーの学業成績は相当に悪かったと言えるだろう。驚きである。

 

ヒトラーには並外れた演説力があった!

ヒトラーの演説力と才能

先述したように、ヒトラーは学業に問題があったが、演説力は並外れたものだった。

人前でスピーチをするということは思っている以上に大変なことだ。緊張感もあるし、十分な準備を整えなければならないし、聴衆が容易に納得できるようなプレゼンを心掛けなければならない。しかしヒトラーは、いとも簡単に演説を行い、聴衆を惹きつけてしまう才能があったのだ。

ヒトラーの演説を解析すると一つの大きな特徴がある。それは「抑揚」である。演説の冒頭は、聴衆が静かになるまで辛抱強く待ち会場に緊張感を与える。そして前半も落ち着いた口調で語りかけていくのだが、後半からクライマックスにかけては叫ぶように大声で演説をするのだ。こうすることで聴衆に対して深い印象を与え、聴衆を魅了することに成功するのであった。

プロパガンダ

ヒトラーは、自分の存在を国中に知らしめるため、巧みな演説力と様々な伝達手段を駆使した。例えば、飛行機を利用した遊説「ドイツ飛行」が国中で大きな話題となった。当時は非常に珍しい手法であったことから民衆を魅了し、また短期間にたくさんの地域を訪れることができたので、非常に効果的なプロパガンダ(政治的宣伝)であったとされている。

反ユダヤ主義

ヒトラーは反ユダヤ主義を拡大させ、ドイツ民族の優秀性を説くことでナショナリズムを高揚させていった。その影響で、次第に反ユダヤ主義が大きくなり、ユダヤ人は迫害を受けることになっていった。そこでよく耳にするのはアウシュビッツ強制収容所であろう。多くのユダヤ人はこの強制収容所へ送られた。そして大量虐殺(ホロコースト)が行われてきたのである。この民族主義にドイツ国民は洗脳され、後に戦争勃発の一因となってくるのだった。

ヒトラーは現在の劣悪な環境の原因をユダヤ人に押し付けることで、疲弊しきった国民の支持を集めていったのだった。

※ホロコースト…ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺。ヒトラーが1933年に政権を握ることでユダヤ人迫害を開始していく。第2次大戦開始後に大量虐殺が始まった。占領下のポーランドのアウシュビッツやソビブルなどの収容所にユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害した。45年までに約600万人が殺されたとされている。

ドイツ復活へ!

失業率の低下

当時のドイツは第一次世界大戦敗戦後の賠償金処理、激しいインフレ、世界恐慌などの煽りを受け、破綻寸前だった。

その影響もあり、一時は40%を超える国内の失業率が深刻な問題だったが、アウトバーン(高速道路)建設などの公共事業に力を入れ、数年後には15%程度にまで落ち着かせることに成功した。

レジャー・娯楽

失業問題だけでなく、レジャー、娯楽、福祉事業にも力をいれた。イタリア=ファシズムを参考にし、大規模なレジャー施設やラジオの普及をさせることで、国民が住みやすい社会を実現し、支持を得ることができた。

ドイツの領土拡大

こうしてヒトラーの改革は功を奏し、ドイツを復活させたのだった。経済を立て直したことでとどまれば良かったのだが、ヒトラーの野望はヨーロッパ征服、そして世界征服にまで広がり、国民からの支持を集めながら着々と戦争の準備をしていった。

総統の地位を得ると、他国からの反対を押し切り、軍備拡張を行った。その後、併合、割譲を繰り返し最終的にはポーランドに侵攻することで第二次世界大戦が始まったのだ。デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギーを侵攻し、パリを陥落するまでに至った。ナチスドイツは驚異的なスピードでヨーロッパ諸国を次々と侵略したのだ。オーストリア出身の一般庶民がここまでのことを成し遂げるとは…末恐ろしいものである。

まとめ

彼の才能が良い方向で使われていれば…と思うのは私だけではないはず。やりかたを一つ間違えただけで大量の死者を生み出す戦争を誘発してしまう。非常に恐ろしいことである。

第二次世界大戦後、ドイツはこのような過ちを二度と繰り返さないように移民政策を積極的に行うなど、政策や方針を大きく変えていった。そして今日のドイツ社会が形成されたのである。戦争や反ユダヤ主義の反省や教訓は今の時代まで受け継がれている。

ヒトラーのやったことは許されないことであるが、悲しいかな、世界を前進させたこともまた事実。何が正しくて何が間違っているのか、わかりにくくなったこの世の中で、とにかく自分を信じ、間違えていることは「間違えている!」と胸を張って言えるようになりたいものだ。

↓↓私が観ておもしろいと感じたヒトラー映画↓↓

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では話を戻そう。

ドイツの素晴らしさはそれだけでは終わらなかった。

 

とりあえず私は目的のユースホステルへとバスに乗って行く事に。

予定では20分程で着く予定だったのだが…

 

30分経過…

1時間経過…

2時間経過…

ん?

んんんん?

走れど走れどバスは目的地に着いてくれない。むしろ逆方向に向かっているような…

!?

わし、道間違えたか!?

急いで地図を見るが全くわからず…

仕方ないので、バスの運ちゃんに、ジェスチャーで事態を説明。

すると運ちゃんは…

「バックパッカーやってるのかい?大変だろう。ひとまずこのバスはキミの行きたい所には行かないよ。きっとバスを乗り間違えたんだろう。もう少し走ると最初に乗った駅に着くから、もう少しこのまま乗ってな。」

と笑顔で対応してくれて、最初の乗車駅まで私を乗っけてくれた。

 「えっと、運賃はいくらになるのかな?」

 と私が聞くと、

 運ちゃんは笑顔で

 「はは。そんなの要らないよ。」

 と、多くを語らず私をバスから降ろしてくれた。

私は返す言葉もなく、いつもの癖で

 「サ…サンキュー。イッツグー!」

 と言うと、運ちゃんも親指を立ててGOODの構えで

 「イッツグー。少年よ、良い旅を。」

 と返してくれた。

 

なんて良い国なんだ。 

私はそんなドイツを2秒で好きになった。

気を取り直して胸をワクワクさせながら、私はお目当てのユースホステルへ向かうのだった。

そしてこの後、一人の青年と出会うのだが…

それはまた、別のお話…

 


To Be Continued・・・